地球上の誰かがふと思った。
「最近、肉を煮てないなあ」と。
俺だ。
かつてブログで書いたことがあったように俺は肉を煮るのが好きだ。肉を煮ることは自己承認そのものだ。
まずは肉を買う。肉を買うと決めた時、俺たちは既に満たされ始めている。
脂質の悪魔、豚バラ肉を買う。「だって俺昨日決めたから」と思えば昨日の自分が俺の罪を被ってくれる。
また会えたね。meet meatだね。ミート・ミッキーのようだね、なんて。
いや、君はずっとここにいたんだよな。俺が君を忘れている間もずっとここで待っていたんだ。
ごめんな。
良いんだよ、といつもの笑顔で肉は言う。
努力しても報われないことがある。いや、そんなことばかりだ。勉強したのに試験に落ち、仕事で頭を下げても給料は上がらず、愛を伝えても返してもらえない。株で損する。
何もうまくいかないし、誰にも認めてもらえない。
何かを手放して、そして何も手に入れられないことがある。手から溢れ落ちていくものをぢっと見つめるだけしかないときがある。人はそんな毎日の中で自分を責めるのではないか。
「俺が悪いんだ」
「俺が間違っているか、足りなかったから」
「俺はいつもダメなんだ」
「俺は無意味な存在なんだ」
「俺が株なんか買うから」
そんな時に肉を煮ると、肉はたいてい応えてくれる。「君は決して一人ではない」と。
上手く味が染みないこともある。時間もかかる。
しかし肉を煮ている時間は決して無駄にはならない。
肉はあなたが「煮た」という行為を全力で肯定し、その身を挺してその結ばれた実を味わわせてくれる。
俺はそんな簡単なこと、ずっと忘れていた。忙しいと、打ちひしがれると、人は忘れてしまう。
肉を煮るということ。
生きているということ。
いま生きているということ。
それは肉を、赤ワインに一晩漬けてから表面を焼き固めた時にしか出ない香りがあるということ。
それは、にんじん、たまねぎ、セロリなどをみじん切りしてオリーブオイルで炒めたときの香味野菜の香りが俺の存在を赦してくれる気がすること。それはパクチーのアガペー(パクチーは今回使用しなかった)。
それは100均のブンブンチョッパー。それはめっちゃ便利だということ。いっぱいブンブンするということ。ブルンブルンって音がチェンソーマンを生き返らせる時みたいで興奮した。俺は主人公だ。時には悪魔だ。俺は脂質の悪魔だ。
そしてトマト缶は、カットよりホールの方が良いということ。なぜなら煮込むにつれてかつての姿を失っていくから。その輪郭が薄れ、汁世界との境目を失い、徐々に永遠に自己が滅びていく様を見ていたいから。
日は沈む時が、花は枯れる時が、月は欠ける時が、肉は腐りかけが、愛は終わる時が、犬は年老いた方が、火は消える時が、仕事は辞める時が、最も美しいということ。
美味すぎてパスタ200g食べた。本当は1キロ食べたかった。
俺はかつてある街のイタリアンのランチでパスタを食べてその味が凄すぎて衝撃を受けたことがあった。ボロネーゼというと普通は挽肉を炒めて作るものだがそのパスタは肉の繊維が残っていて最高だった。しかしその店はランチをすぐにやめてしまった。そして俺はもう、たぶんその街には行くことはできない。
その街には想い出が多すぎるから。
そのメニューにはラグーと書かれていて、ふと思い出して調べてみることにしたのだった。
このパスタは、あの時の味に肉薄していたと思う。肉だけに。
ごちそうさま。
また会えるかな、俺が笑って言う。
会えるさ、もちろん。肉も腹の中で笑って言う。
俺たちは手を振って別れた。
俺はきっとまたここへ還って来るだろう。
そして当たり前みたいな顔でまた肉を煮るんだ。
それが俺と肉とのEternal(肉束)だし。
↓作ったのはこれです。
48時間かけたえぐい美味さの豚肉ラグーパスタがこちら - YouTube