あるバンド練習の後。
俺が「腹減りましたね!」とわざとらしく言う。
バンドメンバーのみんなが「俺こっちなんで」とか「このあと用事が…」とそそくさと帰っていく。
みんな大人だから。
家庭とか、仕事とか、他のコミュニティとか、あるから。
俺たちが長年このメンバーでバンドを続けてこれたのも、プライベートの関わりの希薄さ、お互いに干渉しすぎないドライさ故であると思っている。それは俺たちを繋いでいる音楽へのストイックなモチベーションの強固さの証明でもある。「お前好きな人いるの?」とか、修学旅行の夜みたいに聞いたりしない。
だから俺はみんなのノリの悪さを責めることはしない。むしろその瞬間にこそ、バンドがこれからも継続していくであろう期待に安心感すら覚えるのである。
そして、俺の孤独のグルメの機会が現れたことに感謝もする。
孤独のグルメとは、孤独なグルメではない。食と向き合う俺が孤独であるという事実自体が俺がグルメであることを明示しているのだ。他者とのみでしか食を求めることの出来ない人間はグルメではない。それは食を他者とのコミュニケーションの道具としてしか認識していないことに他ならないからだ。人と食う飯は美味い。しかし食以外の全ての情報を削ぎ落とし食とタイマンで対峙することでしか見えてこないものがある。
俺、食、終わり。
他になにもない。
俺は寂しくなんかない。
俺は黙って歩く。当て所無くとぼとぼと新宿を歩いているとだんだん今何が食いたいのか見えてくる。俺は今何を食いたいのか?自分に問いかけることが一人飯において一番重要な時間であると常々思う。それは俺は誰か?という問いと同質のものであるからだ。とりあえず、で選んだ人気のラーメンの低温調理チャーシューを一口食った瞬間に「いや、俺が食いたかったのはしょぼい立ち食い蕎麦だったかもしれない」と後悔したことが何度あったか。しかし意識的にその問いを自分に投げかけることはとても難しい。俺たちは常に外部情報に思考を奪われている。YouTubeやSNS、サブスクなど昔に比べて検索よりもサジェストされるものに時間を使う機会が増えている。それはかつてのテレビのようだ。口を開いていれば無限に物を入れられる状況では能動的に口を閉じて、ひたすら考えるのは難しい。だが統計学が導出した30代男性会社員一般の好みの型に自分を嵌めてばかりいると真に自分にとって価値のあるものには出会えない。今、Spotifiyにブランキージェットシティは無い。お前が今日ひろゆきのクソみたいなリール動画を見て失った寝る前の10分は明日のお前が寝たかったのに血反吐を吐いて我慢した10分だ。
意識高い系IT企業のエンジニアのように座禅を組み、瞑想する。そして呼び寄せる。食というストイックとは一見相反するような位置付けのそれを、俺は今無欲に追求しているという矛盾。
全てのジャンルの食物を頭の中に一斉に浮かび上がらせ、それらを順に咀嚼するイメージ。今この瞬間、宇宙にある食が全て目の前にある。食のサブスク。そしてその中で何度も選ばれてきた彼が今日もまた光り輝いている。
寿司。SUSHI。鮨。
いわずもがな。
アンセムソング。
食界のミスチル。
だがその隣に今日はもう一つの光があった。
海鮮丼。
コストパフォーマンスという忌々しい概念はしかし消費社会において常に付き纏う。
ちょっとでも安く美味いものが食いたい。
仮に昨日の夜、1杯600円のレモンサワーを何も考えずに飲んでいたとしても、今日のランチの数百円をケチりたいという情けない俺的感情がある。
昨日の俺、明日の俺、今日の俺、全員が別人だ。アイデンティティなど幻想である。
海鮮丼にワクワクしないとは言わない。
丼の上からWASABIを溶いた醤油をぶっかけるアナーキーな瞬間にしか生成されないドーパミンがある。
サーモンの脂やイクラ、ウニのように他エリアの味を侵食するようなネタが他のネタと悪魔合体し一時的に六本木の成金が食う品のないウニトロ寿司のようなものが擬似生成される。
だが基本的に「握る」という工数を削減した海鮮丼に求められるのはコスパ、あとは強いて言うならビジュアル的な「ヴァエ」くらいだと思う。
寿司のオルタナ。そう呼んだら海鮮丼は怒るだろうか。
だから俺は今日、金を選んでしまったのだ。言い訳はできない。
金がねんだよ。そう吐き捨てる。何がグルメだろうか。かねがねんだよ。呪詛のように呟く。ツイート。
海鮮丼は、ところがなかなかの値段だった。2千円超え。絶妙な価格。もちろん、たぶん回転寿司屋で何も考えずに皿を取れば簡単に超える金額だろう。だからこれは間違いじゃない。俺は払った。ウニも載っている。イクラも載っている。だから俺は悪くない。間違ってなんか無いよな、俺。その答えは風の中さ。
海鮮丼が到着する。俺はウニを見てああこれはがっかりウニだなと思った。風を見るまでもなく。
これは見るからにがっかりウニだ。そうするとだんだん何もかも悲しくなってきた。なぜか薄暗い店内とか、券売機の感じとか、新宿の汚い雑居ビルの感じとか。
わさびとか。
海鮮丼の葉っぱが載っているところはわさび置き場である。だからこのエリアにはネタがない。グラウンド・ゼロだ。だってわさびをどこかに置かないといけないんだからしょうがないじゃないか。そういう作り手の言い訳が聞こえてきそうだ。良いぜ別に、白い飯が見えていたって良いんだぜ。
だけどお前ら怖かったんだろ。
白い飯が見えていることが。
だからわさびと葉っぱで隠したんだろ。そうして知らないふりをしたんだろ。
なかったことにしたんだろ。
お前らはそうやってわさびで罪悪感を塗りつぶしたつもりかもしれないけど、もう32年生きてる俺はわさびじゃ誤魔化されないんだぜ。お前ら、ネタをちょっとでも減らしたかったんだろ。
金は大事だもんな。コスパは大事だもんな。
俺も金でここを選んだ。文句は言えねえよ。
俺はわさびを醤油で溶いた。そしてぶっかけた。甘い醤油もあったのでぶっかけた。そんでがっかりウニとかそういうのを腹に詰め込んだ。わさびが多くてツーンとした。
可もなく不可もなく!そういう言葉が浮かんだ。言わないでおくとしよう。
帰路。
「なあ、回転寿司に行きてえな。回転寿司に行きてえなあ。」
俺の中のジャングルの兵隊が一人文句を言う。
「うるせえ寝れねえだろうが黙ってろ!」他の兵隊が叫ぶ。
「回転寿司はさ、確かにいくら使うことになるかわからないよ。もしかしたら3千円いっちゃうこともあるかもな。いつも行くとこは一皿200円くらいするもんんな。でもさ、まあ、いいかって、帰ってる途中には忘れちまうんだ。
海鮮丼が悪かったわけじゃない、ただ、今日の俺の気分と低品質な海鮮丼の組み合わせがあんまり良くなかったんだ。新宿だし、そりゃ場所代とかもあるし、こんなもんだよ。
だけど、回転寿司、行きたいよな。
海鮮丼は普通の白米が良いけどさ、寿司は酢飯しかありえないんだよな。緑茶は粉だよ。たまにガリを食って少しでも満腹感を満たそうとするよな。サラダ巻きが3種類載ってる皿、邪道だけどちょっとお得な感じがするよな。トロたくも美味しいだよな。のり汁かあら汁か悩むよな。寿司って良いよな。」
気付くと、他の兵隊たちは黙って何も言わなくなっていた。みんな、それぞれの寿司に思いを馳せているから。
それぞれ一つのlife それぞれが選んだstyle
どこかからジャングルに鳥の鳴き声だけが響く。
明日で全てが終わるだろうと、皆気づいている。
だがそれでも、今日だけは、俺たちは
鮨の夢を見る。