たぺログ

Emily likes tennisという日本のバンドのドラマーが描く人間賛歌的なブログ

ベローチェの巣の下で

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うちの近所のベローチェの客の平均年齢は80歳を超えている。この前行った時は間違えて介護施設か精神病院に来たのかと思ったくらいだ。

なぜ精神病院かというと入ってすぐ目の前の老婆がレジでアイスコーヒーとコーヒーフロートを頼んでいたからである。アイスコーヒーとは冷たいコーヒーで、コーヒーフロートとは冷たいコーヒーにアイスクリームが乗っているものである。あなたの認識は間違っていない。

老化と発狂は紙一重である。なぜなら正常と異常が紙一重だからだ。「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」と言うが人生の中間地点の見えてきた俺にとってここは自分の未来予想図みたいな場所だ。中野を終の住処とした場合の俺の未来。This is ババア・ダブルコーヒー・シティNAKANO。笑えと言われても笑えない。

それに、そこまで狂った注文方法とも言えないかもしれない。一人で座ったため「ツレがいるのかもしれない」という一番最初の予測は外れたが、すごくたくさんコーヒーを飲みたくてアイスクリームはそんなに食べたくない状況ならばあり得ない話ではない。冬とはいえアイスクリームはいつ食べても美味いものだし、冬だからこそ腹を壊す危険があるからだ。そしてベローチェのアイスクリームトッピングは110円(税込)である。どんなアイスドリンクにライドンすることも可能なのだ。

または、少し安くコーヒーフロートを二つ食べる方法としての、こち亀などでやっていたチャーハンとライスのセット的な貧困チャレンジなのだろうか?限られた年金の知恵なのかもしれない。株で多くの貯金を失った俺は将来の先輩の行く末をじっと見守ることにした。

老婆は座ってすぐに、紙ナプキンをテーブルに広げ、コーヒーに浮かぶアイスクリームをスプーンですくって紙の上に取り出し始めた。そしてそこからアイスを食べている。もうダメだ。わからない。隣席の老婆Bはそれを見てあからさまに狼狽えている。よし、あれは正常なババア。

かくしてしわしわになった紙ナプキンとアイスクリームを食べる異常老婆のタイムアタックが始まる。しわしわの老婆はコーヒーを一杯目の半分だけ飲んだ後、立ち上がってトレーを返して退店した。タイムアタックは終わった。コーヒーは1杯半、アイスクリームは半分残っていた。老婆の目に映るリザルト画面は最悪なことになっているだろう。もしかしたら亡き誰かへの供物だったのかもしれない。ツレは幽霊だったのかもしれない。単純にもうキャパがわからないのかもしれない。実はものすごい金持ちでベローチェで贅沢をするのが趣味なのかもしれない。俺だっていつも自分のことは何もわからないので同じことだ。少なくとも俺の心に爪痕を残した老婆。

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他の老人たちも各々やりたいことをやっている。あちらでは老婆3人がお喋りをしている。主に1人が話していて他の2人は「まあ〜」「あらそう〜」などと相槌を打つのだが時々タイミングを外して意味不明なやりとりになってしまい「Bad!」などとリズムゲームのような表示が見えなくもない。そうか、ここは老人のゲームセンターなのかもしれないな。しかしお互いそんなに真面目に話を聞いてないので特に支障はなさそうだ。病気と旦那と葬式と病院とニュースと病気の話をしている。

 

最近ふと思う。コミュニケーションの目的は言葉の交換であって情報の交換では無いのかもしれない、と。

僕らは有用なことを話しているつもりで、前に進んでいる実感が欲しくて、分かり合える仲間を見つけたと勘違いしたくて、特別な誰かと意味のある時間を過ごしていることを期待して、話をする。そして永遠に分かり合えないことに気づく。それでもお茶を飲みながら一歩も歩み寄らずに話を続ける。また今度、とお別れをする。内容なんて、意味のあるやり取りなんて、成長なんて、本当は存在しなくて、その時間を過ごしているお互いがただ「私はあなたといることが楽しいんですよ」と確認し合うための作業なのかもしれない。

だから究極的には脳で一切の処理を行わず、「あらそう」「まあ〜」と脊髄反射的な反応のみで行う会話こそが無駄を排したコミュニケーションの完成形なのではないか。それは音楽に合わせて体を揺らすように。コールアンドレスポンスのある、ライブに近いような、一体感を優先した場。頭の中では「今晩の献立どうしようかしら」「腰の痛み酷くなってきたしそろそろ病院行ったほうがいいわよね」と別の検討をしながらマルチタスクおばあちゃんズは集合体としての調和を高めていく。こうして人間は全であり個となる。まさしくブラッドミュージック。人類補完計画の要だよ。

 

杖を横に置いた老人が一人で自己啓発系らしき本を読んでいる(老婆の反対語は老爺らしいが使われているのを見たことがない。歳をとると性別の判別は困難になるのでスチュワーデスがキャビンアテンダントになったように、老人でまとめた方がいいかもしれない。自動的に性差がなくなれば老化により多くの問題は解決するかもしれない。)。何か目標があるのだろうか。学び直したいのかもしれない。ぜひ年金や貯金で学費を納めてほしい。俺はもう金を払って大学院とか絶対行きたくない。あんな辛いところに行くのは金をもらってないと割に合わない。しかし孔子曰く五十にして天命を知るらしいから、その時点で健康じゃ無かったらなかなか人生の軌道修正って難しいよな、と思う。知ったところで答え合わせにしかならないのではないか。「あー俺の天命ってパン屋さんでこれまでに無いパンを発明することだったのか」と悟っても手がアル中でぷるぷるしていたら手遅れだ。いや、手遅れなんてことはない。アル中パンみたいなのが流行るかもしれない。110歳まで生きるならこの人は俺が生まれてから今までの時間をこれから生きるのかもしれない。何でもできるだろう。俺もやらなければ。何を?

ここにいる人間は皆、恐らく俺より寿命が短い。自助グループに病気のふりをして通ったファイト・クラブの主人公のように、俺は老人になったつもりで座って考えてみる。俺は何を後悔している?だが具体的な答えは見つからない。満たされているからではなく、やり直してもどうせ満たされない気がしているからだ。

 

そろそろ俺は帰ることにする。

ベローチェはとにかく安い。味はまあまあ。

アイスコーヒーは量が多いが氷も多いのですぐ飲み切れてしまう。そしてなんか濃い気がする。ドトール並みに濃い。

つまり最高の店だ。広いのも良い。電源も結構あるしよ。

 

俺はコミュニケーションでは何の情報も得られないと先程述べた。しかし、老婆は誰かに何かを伝えようとしたわけではなかったが、俺は「次来た時はコーヒーフロートを飲みたい」と思った。それは老婆の行動が起こした影響によるものだ。俺だけのインフルエンサー

 

SNSなど無くとも、人が人である限り意志は受け継がれていくのだ。伝えようとしなくとも、自ずと。それは固有周波数を持つ音叉が共鳴するように。

だが俺は何か残せるだろうか。そもそも何か残したいだろうか。人間なんて池に落ちた石のようなものだと思う(なんかこれ誰かが言ってた言葉な気もする)。売れない音楽も、遺伝子も、誰かの中の記憶に残る俺も、このブログも、その波紋がうっすら伝わっている間だけのものだ。

どうせ消える爪痕なら、できるだけ変な形のものがいい。見た人の皆が首を傾げるような。謎の壁画みたいな。

 

一人でベローチェに来て、若者を混乱に陥れる注文をする老人になる。俺もそうする。いやどうかな。

 

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後日来ました。うまかっ です。