たぺログ

Emily likes tennisという日本のバンドのドラマーが描く人間賛歌的なブログ

うな重上に花束を

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うなぎ という単語をTwitterで見かけて食いてえなと思った俺は自転車を飛ばして「宇奈とと」へ向かった。

 

宇奈ととは鰻丼を年中安く食える、俺は結構好きな店だ。母に昔食べさせたら「こんなのは鰻ではない」と言っていたが俺は好きだ。しかし最近はあまり行けてなかった。なぜなら鰻のことを忘れていたからだ。

 

街へ出ると路上でいろんな店が鰻弁当を売っていた。どうやら土用の丑の日とかいう意味のわからない日らしい。そんな余計な日など作らなくて良い。うなぎは食べたいから食べるのである。同じ日にみんなで同じものを食う必要はない。そんなことをするから絶滅する。最近俺は行事とかイベントとかそういうのがマジで要らなくなってきていて、誕生日とかなんかそういうのも全部無くなれば良いのにと思っている。別に家族とか大事な人たちが生まれたことを祝福したくないわけではないが、その生まれた日から地球が太陽の周りをちょうど一周している時点のことを特別視する理由が特にないから、それを一々記憶しておいてなんか物をあげ忘れると薄情扱いされるのもよくわからない。俺の性格がクソ最悪だとこれ以上思われたくないのでこの話はここで終わり。

 

宇奈ととにつくと店の前にはたくさんの大学生アルバイトが立っていて邪魔だった。彼らは道行く人やウーバーの配達員にうなぎ弁当を売ったり渡したりする為に立っているらしかった。しかしそのだべってわちゃわちゃしている様を見るにどちらかというとたまに声を上げる以外は時給をもらいながら青春を謳歌するためにそこに居るようだった。とても素敵なことだ。子育て支援金だ。俺がオーナーならすぐに半分をクビにするが少子化対策観点ではむしろ奨励すべき状況だし、俺は他人の幸せを素直に願える人間になりつつあるのでむしろ楽しんでね!と思いながら店に入ろうとして、てめードアの前に突っ立ってんじゃねえどけやクソボケがこちとら暑いし腹が減っとんじゃいとも思った。

 

宇奈ととに入った俺は気だるげな店員に対して挑発するように「うな重 上」を頼んだ。「うな重 上」はメニューのランク的には上から2番目くらいな感じのポジションで、特上よりは下だが最安のうな丼の3倍の値段がするまあまあリッチなメニューである。もう少し払えば普通の店で鰻が食えそうな値段である。そのためいつもの俺はうな丼ダブルしか食べない。しかしそれを俺はまるで「いつもこれしか頼んでないんだよね」という顔で頼んだ。外で青春デンデケデケデケしている学生たちはバイト終わりに多分まかないの590円のうな丼を食うのであろう。そいつらと俺が同じもの、または倍程度のものを食うのは割に合わない話だと俺は思ったのである。3倍だぞ3倍。

 

うな重 上はまあまあのデカさのうなぎであり、ご飯は大盛りでもよかったなと110円追加を躊躇した自分を恥じた。でも昨日も酒飲んでラーメン食ったから食べ過ぎなくてよかった。タレをドロドロかけて山椒と七味を振りかきこんだ。3分くらいで食べ終わってしまった。

 

俺は完全に俺ではなく隣の仲間に向けられていると思われる笑顔の余りで俺に「ありがとうございました!」と礼を言う女学生に会釈をして店を出た。スタバへ向かいマックを開き「さあメジャーデビューするぞ」とバンドの音源の編集作業をしようとしたが電池がなかったのでコーヒーを飲んだだけで帰った。

 

家に帰ってTwitterを見たらみんな花火の画像や動画をあげていた。マーベルやディズニーやジブリや君の名はみたいなすごい映像美が観れる現代に花火は大変にシンプルな映像娯楽である。隕石も落ちないしラッドウィンプスもかかったりしない(しないよな?)。しかし花火はそのプリミティブな美しさと同時にその花火を観ている自分や、一緒に観ている人、その場所、それまでの夏、それからの夏、すべての思い出の一区切りを保存してくれるような、そういう瞬間を切り取るような特別さがある。人生の中で色濃く残る点になる。

だから似たり寄ったりの画像がSNSにあげられていても、そこには一つ一つ全く違うストーリーが、エモーションがある。

だからどんなに文明が発達しても、人間が生きている限りは花火を美しいと思い続けるだろうし、だからこそ花火はずっと無くならないだろうし、無くなってほしくないなと心から思った。

 

そして今の俺にはどうでも良いなと思った。

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