ある朝、T-DRAGON(オレさ)がなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で39℃の病人に変わっているのを発見した。
ああ、冬だしな。
毎年恒例のやつだ。
慣れた手つきで俺は会社に有給取得の連絡をする。(有休より年休より有給という呼び方が好きだ。給与の給という字が入っているから)そして会社からもらったストックのある抗原検査キットを一本使って検査をする。陰性。
とりあえず安心して風邪薬を飲んでひたすら寝る。
寝る。
薬と水を飲む。
寝る。
薬と水を飲む。
加湿器に水を足す。
寝る。
ひたすら合わない計算をする悪夢を見て気づいたら夜だった。
薬と水を飲む。
腹が減ったので半年くらい冷凍してある冷凍カルボナーラを食う。泣く程美味い。
寝る。
朝。熱はある。
また会社にメールを出す。
寝る。
ひたすら昔の知り合いが出てくる夢を見ていたら夜。
死ぬほど腹が減っている。しかし家には乾麺のラーメンとか調理が必要なものしかない。
その気力はない。
なぜか五分くらいなら歩く元気はある。
セブンに親子丼を買いに行く。
家賃高めの家に無理して住んだお陰でセブンはすぐ近くにある。
前の家賃の家からでは辿り着けなかっただろう。
病気の前では金持ちも貧乏人も同じだというが嘘だ。全部金だ。病院の大きめのベッドも手術の横入りも全て金持ちのためのものだ。
俺は金が欲しい。
だが金が欲しいという考えは相対的に他者を蹴り落とす願望だ。
だって金って相対的なものだろ。
みんなで金持ちになろうなんてできない。
「みんなで金持ちになろうな」みたいなツイート、欺瞞でしかない。
みんなに100億円あげたら、100億円の価値が1万円に下がるだけだから。
経済ってのはたくさんの誰かから自由をとりあげて、集めた自由を誰かにあげることだから。
「俺だけが」金持ちになりたい。
金持ちになりたい、金が欲しいとはそういう思想だ。違う?
だからごめん。
俺のせいでコンビニの近くに住めなくて辛い思いをしてる他の風邪の人。
ごめん。
私は病原菌の塊です。近づかないでください。
すいません。
心の中で呟きながらレジで商品を受け取る。
親子丼を食う。
うまい。
風邪にはやっぱり親子丼。
2年前に風邪をひいた時もブログで親子丼を食べていた。
俺は自炊が好きでどれくらい好きかというと「かかる原価が既製品の定価と同じなら自分で作った方が楽しいから作る」というくらい好きだ。電車に乗るのが好きな人が「同じ値段なら長く乗りたい」と鈍行に乗るのと同じ理論だと思う。あと味の好みとかもある。
だが久しぶりに既製品の食べ物を食べることの不思議さを享受する。俺は金という対価を支払っている。しかしいつも払う手間という対価を殆ど支払わなかった。これは等価交換といえるのだろうか。いや、本来の意味で等価交換などあり得ないんだ。互いにとって価値が同じならばそもそも交換する必要もないのだから。
最近アービトラージという言葉を知った。簡単に言うとAとBという八百屋があったとして、Aでは大根が100円だがBでは80円だとすると、Bで買った大根をAの店の前で100円で売れば儲かるという話みたいな感じらしい。間違ってたらごめん。
TPOによって物の価値は変わる。だから交換するんだ。だから等価交換なんて幻想なんだ。
俺の時給はもっと高くても良いはずだし、俺より時給の高いやつは不当に時給をもらっているのだ。
たぶん脳が正常に機能していない。
だが今の俺には親子丼を作る手間を安い金で買えることが何よりありがたい。
寝る。
夢は見ない。
朝、熱は少し下がっているが頭は回らない。会社にメール。
あー今日、誕生日だな。
親にLINEを返す。寝る。
親に風邪のことは言わない。めんどくさいし。
今伝えても助けて欲しいことないし。
それならただ心配させるだけになる。
そうやって俺は人に頼る方法がどんどんわからなくなる。
頼り癖をできるだけ無くしておく方が拠り所が無くなった時に困らないなと保険を掛けてしまう。
それに人に頼れないのは優しさではなく心の狭さだと思う。
夕方、病院へ行く。病院に入って「電話した者です」と伝えると病原菌の塊らしく「あ!入らないで!外で待っててください!」と追い払われる。裏口から通されて石油ストーブが置いてある謎の部屋に通される。検査をする。コロナでもインフルでもなかった。私は風邪の塊です。ドラえもんみたいな声のおばちゃんはすごい疑い深くて「少なくとも、コロナではないわね。インフルエンザはまあ、一応大丈夫そうだけど100%かどうか…」と検査の結果に納得がいってないようだが、俺は真実が知りたいのではなく今後の行動指針が知りたいから五千円払ったので検査の結果に準ずる。あと保険料払ってる分格安になる薬が欲しいだけだ。薬を寄越せ。早く帰らせろ。まあまあ、おばちゃんも心配してくれてるだけなんだよ。
家へ帰って映画を観る。ジェイクギレンホールとアンハサウェイが性行為ばかりしている映画。今年の誕生日はこの映画を観たことが思い出になるな。去年の俺は誕生日に何をしていたのか調べたがわからなかった。
ツイートを遡ると前日に悲しいツイートをしていて笑ってしまった。
毎年最悪な誕生日を更新していると思うし、来年はもっと最悪になればいいと思う。俺は生まれたことも産んでもらったことも感謝しているがそれと同時にこんな今の現状を祝ってもらいたいという気にはあまりなれない。今年も生き延びたことはおめでたいが、自分をよくやったと言える時まではケーキなんか食っても楽しい気分になれる気がしない。不思議な国のアリスみたいな「なんでもない日のパーティ」なんて、実際には3日で飽きるのではないだろうか。
俺は思い詰めすぎているのだろうか?
岡本太郎は幸福なんて嫌いだそうだ。
俺は幸福な方が好きだ。
だが最悪な方が静かではある。
最近三ヶ月くらいかけて読んできた小説がようやく終わった。飛行機が墜落するところから始まって墜落して終わった。これもまた最悪な話だった。
風邪が治りかけて最初に俺がやったことは筋トレだ。
「重たいものを持ち上げることは最高にクールだ」とYouTubeでボディビルダーが話していた。
そうだ。今年の自分への誕生日プレゼントは今年の夏に買ってある。
片手38キロの可変式ダンベル2個。
小さくなった胃に鶏胸肉を水で流し込む。気持ち悪い。
今年は実家に帰らない。親がこっちに来るらしいからだ。同窓会には行けません。特に何もしていないけど新幹線代が未だに高いと思ってしまう収入だからです。たぶん俺がいないことに気づく奴は少ないだろう。まあそんなわけで正月太りの懸念はだいぶ少ない。胸肉を食らい、筋トレをする。何のために?念のために。
たぶん風邪をひいたのは減量のせいだ。だから減量はもうやめだ。米もしっかり食う。
次の俺の誕生日は自分によくやったと胸を張って言える日だ。地球の自転の回数なんかに俺を祝う日を任せてたまるか。地球とかくそくらえ。誕生日祝うな。葬式で呪うぞ。
ストイックなのではなく、生まれつき自虐なんだろうなと思う。だからわざわざこんな日に風邪をひく。本当は普通に有給取って潰れる前に横浜の大学の前の弁当屋の弁当でも買いに行こうと思ってたのに。もう行けないね。
これを書いている今日はクリスマスイブになる。とりあえずドラムのMIDIレコーディングでもやるつもり。
ベイブ(豚)の友達フェルディナンド(アヒル)が「クリスマスは殺しの日だ!」と叫んでいたのを思い出す。俺も自分を殺して、やりたいこと(やりたいけどめんどくさいからやりたくないこと)をやる日にしよう。大人にサンタは来ませんので。