たぺログ

Emily likes tennisという日本のバンドのドラマーが描く人間賛歌的なブログ

ひとりぼっちの夜

大学に入ってすぐの頃のことを最近思い出す。僕の初めての一人暮らしはかなり惨憺たるものだった。

 

高校を卒業した僕は1年間の非生産的な浪人生活を経て、地元の兵庫から神奈川に引っ越した。2009年。

父親が家賃3万5千円の1Kアパートを半ば強制的に選んだ。二階建ての木造、和式トイレ、風呂はシャワーだけ、日焼けした畳の部屋。家賃なんて安いほうが良いと父親は言ったが、俺はすぐに家より大事なものはないと学ぶことになった。

隣からは毎日老夫婦の喚き声とガラスの割れる音が聞こえた。

 

テレビのリモコンはすぐに紛失して、数年間はテレビを全く見なかった。そしてインターネット回線も最初の半年は引いていなかった。まいばすけっとと家と大学を往復する小さな世界から外に繋がるのはガラケーだけ。だから俺は2009年から2010年あたりのニュースを殆ど知らない。その頃、親に首相の名前を聞かれても答えられなかった。テレビは本体でも操作できるのだがコンセントに刺さっていなかったしコードの先が荷物の山から出てこないし探すのも面倒で探さなかった。ニトリで親に買ってもらった勉強机は上も下も荷物置き場になっていた。仕方が無いので親に買ってもらったノートパソコンを床に置いて寝転んで使っていた。布団は1度畳んで以降広げるのが面倒臭くて、畳に直接寝ていた。1ヶ月くらいずっと身体中が痛いのでまさかと思って布団をちゃんと敷いて寝たら1日で治った。

まさしく堕落を極めていた。

 

大学に入って最初の1ヶ月くらいは本当にひとりぼっちだった。最初の1週間は大学のシステムがわからなくて普通に授業が始まっていることすら知らなかった。毎日さっぱりわからないし興味もない授業を終えたら家に帰ってイオンの冷凍うどんを食い、ネットの繋がってないパソコンに入っているWindowsムービーメーカーでパラパラアニメを作った。手で描いた猫の絵をコピー機でスキャンしてちょっとずつ動かした。歌舞伎揚とスーパーカップを食いすぎて吐いた。

 

大学の授業で誰かに話しかけても次の週にはその人にはもっと仲の良い友達が出来ていた。僕もその人に興味は無かったので特に困りはしなかったけど、授業はずっとわからなかった。

 

わざわざ電車で大学から離れたライブハウスに行き、軽音サークルの新歓ライブを観に行ったが、全然面白くなかった。全然面白くねーなーと思ってステージを見ていたらなんか髪のモジャモジャした奴が酒を片手に「よう!君はこのサークル入るの?俺は入んねーわ!ダセーもん!」と言ってそのまま去って行った。ああいうノリの軽いやつとは仲良くなれないだろうな、と思ったがまさかそいつとそれから10年近く一緒のバンドをやることになるとは思わなかった。

 

結局そのサークルには入会金を2万円払って入ったが飲み会で先輩に「好きなAV女優は?」と聞かれてそんなコミュニケーションの仕方があると知らなかった僕が即答出来ないでいると「つまんねーな、お前もう帰って良いよ」と言われたので全部のテーブルに残っている唐揚げを食い尽くして、行くのをやめた。

 

インターネットが繋がってからはパソコンでmixiを見ていた。風呂上がりに頭を乾かさずにmixiテトリスを肘を立てて数時間ぶっ続けでやったら髪は乾いたが手がしびれて動けなくなってセミみたいにひっくり返っていた。

 

夜眠る時、天井を見つめながら「俺のことを知る人はこの街にはいないんだ」と毎晩の様に思った。

 

今、世界が変わっていく一方で、僕自身はあの頃に戻っただけなのかも知れないなと思う。