たぺログ

Emily likes tennisという日本のバンドのドラマーが描く人間賛歌的なブログ

No Reason

時は内向のさなか

 

かつて私が大学生だった頃、

若く、健康で、鬱屈として、

人間関係が適度に希薄な軽音サークルのぬるい居心地の良さに浸り部室でスーパーファミコンばかりしていたせいで半年間で24単位のうち22単位を落としていたあの頃、

大学の近くにある一軒の焼き肉屋があった。

今はもうない。

 

私の通っていた大学はかつてゴルフ場だった。駅から離れた辺鄙な丘の上にあり、生きていくには十分だが若い健康な人間が挑戦的な気力を失うには丁度いい程度の栄え方をしていた。

つまりクソ大学生を作るのに適した場所だった。

 

ほぼ24時間やっているが海水の味しかしない家系ラーメン屋

600円で小指みたいな大きさの豚の角煮しか出てこない癖に極楽みたいな名前の地獄みたいな居酒屋

ガスト

笑笑

 

笑笑で笑える自信がない

 

だが安くて炭水化物の多い弁当屋とか、好きな店もあった。

軽音サークルが贔屓にしている焼き肉屋もその一つだった。

適度に狭く看板も目立たないので奇跡的に同大学のテニサーとかもいなかった。文化系のサークルも。ていうか大学生が。

俺は何より同じ大学の人間がたくさんいる場所が嫌いだったのだ。

人間は自分に似ているものにこそ嫌悪を覚えるものだ。

人間はチンパンジーを恐れる。犬は恐れない。

 

我々は親しみを込めてその店名を短くセンザンと呼んでいた。

 

センザンはコストパフォーマンスに優れていた。

当時あまりに生活が苦しすぎて家賃3万5千円の家から2万円の家に引っ越した貧困状態の自分が焼き肉を食えた、という事実がその安さの何よりの証明だと思う。

適当加減もよかった。

親しみを込めて陰でセンザンのババアと呼んでいたそこの店主の奥さんは面倒くさそうに注文を取りに来る時以外は椅子に座ってテレビの相撲を見ていた。

帰り際にはサービスで切ったフルーツをくれた。「もう帰れ」という意思表示だったかもしれない。

 

我々は折に触れてセンザンを訪れた。

自分がサークルに入って最初の新歓ライブの後に行った打ち上げもセンザンだった。

(たぶんその時に一回エンリケ先輩にエミリー加入を誘われて断った)

文化祭の打ち上げもセンザンが定番だった。

 

 

狂乱のサークルライブの結果、客なのにOBが天井を貫通して部室が半壊した時、呆然としながら酒を飲み続ける部員を見回しながら「ここでだらだらやっている時間ほど無駄なことはない」と言う別のOB先輩について先に打ち上げをしたのもセンザンだった。

牛刺しを食って「鬼名盤じゃん!」とOB氏が言っている横で部室に残っていた人から電話がかかってきて、出ると、「騒ぎに乗じてやってきた学生自治と冷蔵庫の所有権について口論になり通報された為遅れる」と伝えられた。俺はだらだらすると肉を食い遅れるという学びを得た。

 

その時にも俺はカルビクッパを食ったのだ。

(天井を壊したのはもしかしたら違う日だったかもしれない。よく覚えていない。もう10年前の話になる。曖昧な思い出話で申し訳ないがかといって外出自粛で新しい記憶も更新されないので許してほしい。)

 

センザンのカルビクッパはクソでかい塊肉が入ったクッパだ。

サイズ違いがあり、スタバで言えばグランデにあたるカルビクッパ大を頼んで取り椀で分けて食っていた。

俺は〆にはカルビクッパを必ず頼んだ。絶対に頼んだ。カルビクッパを食うためにライスは限界の少し前で止めていた。ビビ麺も食いたい時は両方頼んだ。ビビ麺も旨かった。

普段まいばすけっとのブラジル産鶏もも肉と冷凍TV(トップバリュ)うどんしか食っていない貧乏学生にとって牛肉の塊は麻薬だった。サークルライブなど、所詮は同じサークル内のメンバーで見飽きたバンドの演奏を見せ合う自家中毒のようなイベントだが、それでも無意味な運動をした後に汗まみれで食う牛肉の塊と水分で膨らんだ甘辛い米のハーモニーは脳を直撃し、控えめに言っても最高だった。

この瞬間が永遠に続けばいいと思った。

だが永遠などなかった。

 

 

兆候はおしぼりだった。

ある時、センザンのおしぼりから異臭がした。

その日を境に、ランダムにおしぼりやライスやお茶から硫黄のような異臭がするようになった。最初はお茶の代わりに水を頼んだり、ライスを避けたりした。しかしそのエンカウント率は指数関数的に増え、無視できないようになった。センザンのババアも情緒がおかしいようだった。

そして終わりが来た。二度とセンザンの窓に灯りがともることはなかった。

 

 

「就職しないでセンザン2を作ろう」とか一緒に現実逃避じみたことを話していた先輩も就職していった。俺も大学院生になりいよいよ金がなくなって毎日冷凍パスタを食いながら教授になじられる日々に埋もれ、センザンの記憶は遠い彼方に消えていった。

 

 

 

先日、バンドのメンバーがツイッターに貼ったYOUTUBEのリンクを観た。

それは大学のサークルメンバー皆で文化祭の路上で騒音を鳴らしている映像だった。他の人がどういう意図だったかは知らない。だが俺は本当は調和などないのに、他の大学生が楽しんでいる雰囲気を醸している憎い下らない文化祭をできるだけ邪魔してやろうと思ってやっていた。気弱な暴走族とそんなに変わらなかった。

 

動画の中で今より痩せた俺たちは叫んでいた。

No Reason

No Reason

 

コカ・コーラのCMではなかった。

それはNirvanaの歌詞を聞き間違えて発した言葉だった。本当は

No recess

が正しかった。

 

Won't you believe it?

It's just my luck

No recess

動画は長かったので1分くらいで飽きて見るのをやめた。

 

 

 

 

今、俺は働いている。だからセンザンがなくても、ハナマサでデカい肉だって買う金がある。

圧力なべも買ったからカルビクッパだって作れる。

だからセンザンは俺の心の中にある。

 

だが、もう心の中にしかない。

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