こないだコインランドリーへ行った。
コインランドリーは殆ど行かないが好きだ。理由はわからない。
音楽が流れていてなんか面白い。できあがりを待つ間、飲食禁止とは書いていないのでパンをかじり、茶を飲みながらノマドワークしてやった。
映画とかのコインランドリーは出会いの場になるが、現実的には来るのは老婆ばかりである。それにコインランドリーで話しかけてくる人はちょっと緊張する。
俺は年に一度、でかい羽毛布団を洗うためにコインランドリーへ行く。でかい羽毛布団はコインランドリーのでかいランドリーにしか入らない。
俺は親が買ってくれたまあまあ高い羽毛布団を、大学1年の頃から12年使い続けている。
家賃2万のボロアパートで服が全部カビたときも、布団カバーはカビていたが本体は生き延びていた。
しぶといやつだ。一番長く使い続けている所有物はもしかしたらコイツかもしれない。
たぶん次が11年くらい使っているスネアドラムとフットペダルだろう。スネアは渋谷にサークルの先輩と買いに行ったのを覚えている。フットペダルは前任ドラマーがくれた。
どちらも大事に使っている。
閉塞感を無くすためか天井が青空になっており刑務所を彷彿とさせる。
コインランドリーの前で猫がニャンと言って去っていった。
俺は予備校生に通っていた頃、ヒザ猫という猫を飼っていた。猫ではない。膝である。
自分の膝をさすって猫を撫でていると思いこむのである。気が狂っているのではない。
寂しかったのだ。
俺は大学受験で浪人が確定した時、落ち込むよりも「まあそうだろうな」と納得した。
なぜなら普通に手応えがなかったからである。
滑り止めもちゃんと調べていなかった。あまり大学受験に関する情報を知らず、考えてもいなかったのだ。
我が家で初の大学受験ということで親も注意しなかった。俺は長男だから。こんな長男の使い方、炭治郎が聞いたらどう思うかな。
それでも情けなさはあった。予備校に通うにはカネがかかる。そのカネを親に払わせるなんて申し訳ないという気持ち。予備校を選ぶ時、俺は背水の陣をしくつもりで高校時代の友達がいない予備校を選んだ。高校時代の友達は少なかったので簡単だった。
そして、誰とも話さないと誓った。予備校は遊び場ではない。学ぶ場所であり、誰かとおしゃべりなどをしている暇はない。友達など作っている暇があれば勉強をしなければならない。
そして、孤独に苦しんだ。
俺は猫が好きだ。飼ったことはないが触ったことはあった。柔らかいが、やはり動物なので肩の辺りにはゴツゴツと骨ばったところがある。俺はその感触を覚えていた。
猫を抱きかかえるように自分の膝をさすってみると猫を飼っている気分がした。猫ほどではないが若干、毛も生えている。俺は元々、昔からよく想像をする遊びをしていた。授業を全然聞かないでカツ丼を食べている想像をした。まずビジュアルから、口に含んだときの感触、味、匂いなどを丁寧に想像すると意外と満足する。外を歩く怪獣が街を破壊する。どんな見た目でどんな技があるか。ビルが一つずつ倒壊するところを順番に追っていく。この怖いクラスメイトが、嫌いな先生が、ひどい目にあって泣いたらどんな顔でどんな風な声で泣くんだろう、と想像する。
猫は俺が歩くところにはどこへでもついてきた。と言っても俺が行く場所は予備校しかない。駅のホーム、予備校の教室、帰り道にあるHMV。猫は俺がその時に思う通りの種類で、毛色をしていて、都合のいい時だけいた。
一度ヒザ猫の話を母にしたら爆笑されてメモしておくと言われた。心配して浪人のつらさをわかってもらおうと思ったのに全然わかってもらえず憤慨した。
数年後、嘘つきバービーというバンドが「ひざにペット」という曲を出したので、同じようなことを考える人というのはいるものだなあと感心した。
半年くらいして、俺は誓いを破り、予備校に話をする友達ができてからヒザ猫のことは忘れた。社会人となった今はあの頃と違ってカネがある。正直、いつでもカツ丼が食えるし、猫カフェにも行ける。(「いいかい学生さん、トンカツをな」のやつは「松のや」も含んでいいのだろうか?)職場に嫌いな人は、まあ、学生の頃ほど嫌いな人はいない。
だが、時々、どうしても手に入らないものがある時、頭の中で作り出すという手段があることを思い出す。
そしてそっとヒザを撫でると、ヒザ猫の鳴き声が聴こえる気がする。