たぺログ

Emily likes tennisという日本のバンドのドラムが書くブログ

UCHI-WA 2049(SF小説)

「おい、なんだこりゃ?」

遠くで同僚のベンが叫んでいた。茶色いローブを着た老人の手には円形の何かが握られている。

僕は、なんだっけ、と呟いた。小さな声だったが、それはベンの耳に届いているはずだ。

 

2020年代初頭にあるソフトウェアが爆発的に流行した。i-Talkと呼ばれるそれはウェアラブルデヴァイスにインストールすることで、マイクから拾った発話音声を接続されたイヤホンに伝達する。その過程で使用者の設定した、好きな語尾を付けたり、音程に音声を加工する。最初はそれだけの機能だった。

ジョークグッズとしてしか使用できない程度の、機能的にも技術的にも未熟な製品だった。

でも改良を加えられる度にその精度と機能は異常なスピードで増していった。そして、意味だけを保持したまま、いくらでも自由にその言語表現や声色を変えられるようになった。

それは魅力的な商品だと、人々はすぐに気が付いた。なぜならそのアプリをオンしているだけで、誰もあなたのことを蔑んだり、罵倒したりすることがなくなるからだ。全ての上司が優しい言葉をかけてくれる。同僚の差別的な言葉や下品な冗談も、もう聞かなくていい。あなたのこれまでの言語入力履歴や、これからの発話データを元にアプリは進化し、あなたの好きな言葉だけの世界にあなたを連れて行ってくれる。待っているのは、完璧な人間関係だ。

 

その中毒性に人間は抗えなかった。

多くの人々が、スイッチを入れたが最後、何があってもその妄想Skypeのスイッチを切ろうとしなかった。イヤホンをつけていない人間を見ることはなくなった。そのうち、視覚的な情報との齟齬を解消するために、i-TalkはARグラスにより現実の外観まで加工するようになった。お互いの聴こえてくる発話内容と、表情の間に矛盾が生じることはなくなった。嫌いなものを見ることすら必要なくなった。

これまで僕らは、自分の目や、耳を、世界に裸同然で晒されていた。

受信器官を自衛するための道具を、人類は初めて手に入れたのだ。

 

事態を重く見た国は開発会社を管理することにした。その頃には人間はこのアプリケーション無しには他人と会話出来なくなっていた。心理的外傷を避け続けた使用者たちは、もはや少しの精神的なショックにすら耐えられなくなっていた。i-Talk常用者の自殺が相次いでいた。

つまりは、国民の精神安全を民営企業だけに任せてはおけないという名目だったと思う。その結果のインフラ整備が皮肉にもi-Talkの普及を完全なものにした。

実際にはそれがプロパガンダや国民の監視を目的としているということは殆どの者が気付いていたが、僕たちにとって他人の思想や感情なんてものは既にどうでもよくなってしまっていた。

閉じた世界に生きる全ての人間が、コミュニケーションを外注することによって衝突しなくなっていたからだ。

その代わり、今では多くの人々が、友人や妻の本当の声、口癖、顔すらも知らない。

 

僕の仕事はごみ分類だった。社内の地下の処理施設に運び込まれる言語的衝突を招く収集物を分類する。どうやって収集されてきたものかは分類担当の誰も、知らない。分類された後は、解析部門に回され、今後の言語清浄化プログラムのデータベースとして蓄積される。その後、調査品は廃棄される。

これらは精神汚染廃棄物とも呼ばれていた。所謂、旧時代に作られた音楽や、絵画や、映画など、言語との境界が曖昧なせいで音声や映像面の処理によってそれらの「野蛮な」心理的影響を完全に取り除くことが難しい芸術品。放射性物質よりも速く人を傷つけ、ドラッグよりも深く人の心を蝕むもの。無差別で攻撃的な言葉は簡単に人を自殺や鬱に追い込む。だから我々はこれらのごみを長く見つめてはいけないと言われていた。

 

「アジアの国の道具だよ」

ふと思い出して僕はベンに言った。遠く離れているベンの顔も、声も、i-Talkウェアラブルデヴァイスの助けで目の前にいるように感じる。でも、僕は彼の本当の名前すら知らない。ベンは僕が小さい頃好きだった映画の登場人物から取った名前だ。今では禁止されて観ることができない映画。 同僚のことをなんと呼ぼうと、僕の脳を読み取ってi-Talkが相手に真の名前に変換して呼びかけてくれる。ベンに聞いたら、「俺はみんなをディズニーキャラの名前で呼んでいるし、みんなもそのキャラの声で返事をしてくれるんだ。ちなみにお前は今下半身が戦車のドナルドに見えている。」と言っていた。

 

僕は続けた。「確か、うちはらう、という言葉から来ている名前なんだ」

遠い昔に母が教えてくれた言葉を、もう今は正しく思い出せなかった。削られて削られて残った芯の、意味の部分だけが、記憶の中に横たわっている。

「ふうん、変な絵が書いてあるぞ。」

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僕は差し出されたそれをじっと見つめる。

なぜか、その絵には引き込まれるものがあった。

表面には古い時代のだが、まだ解析できそうなコードが書かれている。多くの旧時代のwebサイトは言語清浄化で閉鎖されたが、以前ここで隠れて拾った膨大な記録メモリからアーカイヴを見つけていた。そこに保存されているかもしれない。

あまりに僕が集中しているのでベンは怪訝そうな顔をしていた。「あんまり清浄化されていない文字を見つめすぎると頭に影響があるぞ」彼はそう言って分別作業に戻っていった。

ベンが気づかなくなるほど遠くに離れたのを確認して、ウェアラブルデヴァイスでコードにアクセスした。もちろん、不正行為だ。ここにあるごみについて、僕らは一切記憶することすら許されていない。

思った通り、それは音楽データの格納場所のようだった。

 

僕は無意識にi-Talkの電源をオフし、加工せずに音源データを聴いた。自分でもそんな危険なことをする理由がわからなかった。

ただ、そうしたいと感じたのだ。

 

それは、不思議な音楽だった。人種も、文化も、全てがツギハギで、統一性がなかった。何の思想も感じない。粗削りなのに老けていて、ただ、やつれた陰だけがそこにあった。うるさいほどの叫び声も、陰鬱な朗読も、インチキ臭いリズムも、全てが珍しかった。だが、同時に懐かしかった。

肌に突き刺さってくる、感情が。

心臓が早鐘のように鳴っていた。

 

昔、妻と一緒にi-Talkのスイッチを切ったことがある。別人のようになった女性が目の前に現れ、聞きなれない声で会話をしようとしたが、相手が何を話しているのかほとんど聞き取れなかった。声の大きさも、発音も、話している内容も、受け取ろうとする全てに掴みどころがなく、手の平をこぼれ落ちていくようだった。女は怯えた顔をしていた。スイッチを入れるといつもの妻がいた。感想を聞くと妻は「ただ、恐ろしかった」と言った。

世界が?それとも僕が?

僕は聞かなかった。

スイッチはそれ以来切っていなかった。

 

気付いたら音源データは全て聴き終えていた。ウェアラブルバイスにアラートが表示された。

「精神汚染反応を確認しました。安全のため、専門のスタッフが到着するまでその場から動かずに待機してください」

僕の動揺を測り取ったのか、ベンが通報したのか。それはわからない。

だが、処理チームが来るまでに、この音源をもう聴き直す時間は十分にある。

そう思った。

 

 

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