銭湯。
こないだまでは「家に風呂があるのに470円も払って行くの…?」とか言ってた。
今では「今日は銭湯行く暇あるかな?昨日行ったばかりだしな…」と考えるようになった。
銭湯に行けば取り敢えず疲れが取れる。
取り敢えず銭湯に行こう…。
俺は銭湯中毒になりつつある。
学生の時は「旅行でわざわざ温泉に行く意味がわからない 」と言っていた記憶がある。
なぜなら風呂は家にあるからだ。
俺が学生時代に住んでた家賃2万の家は酷くて、異常に古い納屋に汚い浴槽が置かれただけのものを風呂と呼んでいたので季節ごとにバラエティに富んだ生命体が侵入してきた訳だけど、そんな半分ホームレスみたいな身分でも風呂だけを目的に夜行バスや車で遠出するメリットはわからなかった。
大阪にたこ焼き食いに行くとかなら分かった。
だけど社会人になって「旅行は温泉が一番だな」と思うようになった。基本的に休みの日に疲れることをしたくなかったからだ。休みの日は休む、その為に存在している。
今も目と肩と腰が痛み、まぶたが痙攣している。限界なんだ。
今朝、通勤電車で隣の女の会社員がイヤホンで爆音のエレクトリカルパレードを聴いていた。その人も限界だったんだと思う。人間はストレスを感じると何かに溺れてしまいたくなる。それは音の洪水とか、アルコールとか、お湯とか。そうやって自分を希釈したくなるのかもしれない。
俺はそんな日々の合間を縫ってわざわざ休みの日に、旅行ガイド本を順番に指でなぞり、有名なでかい建物とか、有名なでかい絵とかを確認しに行くためにあちこちダッシュする旅行には疲れてしまった。移動し続けたくない。
自分ではどこへも行かない、浮いているだけのラッコ。それが人類のあるべき姿だと考える。
それで俺は二言目には「温泉行かへん?」と言うようになった。
ただ、水風呂とサウナの存在は常に疑問だった。
「世の中には我慢するのが好きな人がたくさんいるんだな~」と思っていた。
その疑問は交互浴をやった時に氷解した。
交互浴というのが巷では流行っているらしい。それを知った俺もそれを試してみた。
数ヶ月前のことだ。
要はお湯とかサウナで体を温めてから水風呂で急激に冷やす(冷やすのは数分で良い)、ということを交互にやるのだ。詳しくは各自で調べて頂きたいが、これをやり始めてから俺の中で銭湯の価値はビットコイン並みにうなぎのぼりだった。
仕組み的には毛穴を閉じたり開けたりして血行を良くするということらしい。よくわからない。
水風呂に入る前に体をしっかり温めると、水風呂はあまり冷たく感じない。俺はストレッチとかをすることで長く浸かるようにしている。
そして繰り返し浸かり続け、冷たさを完全に感じなくなって水をぶっかけて浴場を出ると頭は完全にトランス状態だ。
油断するとぼーっと半裸で椅子に座ったままあの世行きになってしまうので早く家に帰らなくてはいけない。体がポカポカしすぎて、もう寝よう以外の気持ちが湧かない。
老人たちが銭湯に行く理由がわかった。
これはグレーゾーンの公共施設なんだ。
これは金取ってもええわ。
最近は家でも再現しようと水シャワーを浴びるのだがあんまり上手くいかない。
こんな話をしていると今日も銭湯に行きたくなってきた。
銭湯には変なやつがいっぱいいる。
スキンヘッドのハゲおっさんが繰り返し水風呂とサウナを往復している。おっさんは水風呂に入る時、禁止されているのに頭まで浸かる。髪がないからセーフという感覚は俺にも理解できるが、そのざぶんッと飛び込むスピードはかなりシステマティックで、じゃがいもの自動洗浄機(などというものがもしあるなら)を見ているかのような気持ちになる。寒さなど感じていないようだ。エンドレスリピートハゲおじさんはじゃがいもから真っ赤なトマトになってまたサウナに戻る。
いつか心臓が止まると思う。
有料のドライヤーで陰部を乾かす人もいる。
「海外の会社は残業時間が短い」とか聞くと「俺の実質的な寿命は海外の人より短いのかな」と思う。毎日定時で帰れる外国人は俺よりも好きなことがたくさんできるだろう。例えばフランスじゃ週に平均40時間しか働かないんだってさ。毎日ほぼ定時帰りですよね。
好きなことをやった時間がそのまま人生の有益さに繋がるのかはどうかは分からないけど、俺は「あーたくさん働いたなあ」って死にたくない派だ。
今日は面倒だからきき湯で我慢しよう。
世の中には銭湯の掃除を小遣い稼ぎにやって、あとは音楽で収入を得て、銭湯でライブをしている人とかいるらしい。音楽で生活するというのはなかなか想像しにくい世界だしそれ相応の苦労もあるのだろう。自分には遠い世界だし、そこまで求めることはしないけど、せめて、銭湯に入りたい時に入れるくらい、休みをください。サンタさんお願いします。有給使わせて下さい。お願いします。
それが無理なら企画ライブにお客さんをいっぱい連れてきて下さい。お願いします。