たぺログ

Emily likes tennisという日本のバンドのドラマーが描く人間賛歌的なブログ

コメダのカツパン

友達の結婚式に出席するため京都へ行った。

俺は兵庫出身だが最近はこちらで親によく会うので帰省もあまりしておらず、関西へ行くの自体かなり久しぶりだった。すでに新幹線の中では乗客の関西弁率に感動していた。

 

京都に着くと知り合いは誰もいなかったが駅では硬質的なペンギンズが迎えてくれた。

ここで何百年もの間、幾人ものさすらう旅人を歓迎し、孤独な心を癒やしてきたのだろう。

年季の入った色をしていた。

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airbnbで予約したホステルに昼過ぎに到着し(aribnbである必要はあったのかわからないが他の民泊やホテルより安かった。ホテル高すぎ)、大学時代の友人たちの到着を待った。

みんな社畜だったため来るのが夜で俺はラーメンを食べてチャーハンを食べてコーヒーを飲んでTwitterを見ていた。観光はしなかった。京都には何度か来ていたが古い建物には一人で観に行くほど関心がなかった。金閣寺が燃えていたら観に行ったかもしれない。そういうARグラスとか出したら人気出ると思う。

順に友人がやってきたので近所の居酒屋に行き普通に刺身を食って飲んだ。チンチロでハイボールを無料にしてヒーローになった。帰って寝た。

 

次の日はコメダに行って朝からモーニングセットを食べたあとにカツパンを頼んだ。コーヒーとカツパンで良かったのだがコーヒーを頼むとトーストがつくので仕方なくあんバタートーストを食べた。死ぬほど美味かった。

コメダのカツパンが来た。腹がキツかったので友人と半分こした。死ぬほど美味かった。毎日食べたいと思った。

4人のうち2人が子育てに追われて疲れている顔をしてコーヒーを啜っていた。実際にそうらしい。大学時代の友人はみなイギリスやら関西やらに散り散りになっており数年に一度会うたびに順調にみんな人生の駒を進めている事を知る。俺は昔と変わらず朝からカツパンなどカロリーの高いものを食っている。しかし昔よりマッチョになった気がするので良いと思った。帰ってから体重を測ったら7月から4キロ太っていて、体脂肪率も4%増えていた。ただ太っただけだった。冬眠を予定していないならかなり受け入れがたい変化だった。

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昼になって結婚式場へ行った。なんかすごいところだった。ちっちゃい滝があった。

結婚式にはかなり本気を出したりする人が多い。今回の人もかなり本気だなあと思った。

キャビアとかすごすご牛の肉などが出てきた。俺はご祝儀代の元を取るべくワインを沢山飲もうとしたが朝からコーヒーを飲みすぎて披露宴中に6回くらいトイレに行った。たぶん最高記録だと思う。祝いに来たのかトイレに来たのかわからない。

すべてがつつがなく終わり、計画性のない俺達はバラバラの席で新幹線に乗り、別れも適当に気づいたら家にいた。

ふうんと思った。

 

急に話は変わるが俺は高校のときに深夜にやっている映画を録画してよく観ていた。高校3年生のときのお小遣いは3千円で、俺は何も考えていなかったので特に不満もなくそれでできることをして遊んでいた。録画した映画は無料なので、新聞のテレビ欄にはタイトルしか書いていなかったが無差別に録画して観ていた。

猫と爺が散歩するだけの映画や、オダジョーが通行人の女を助けて腹パンする映画、あとなんか色々観た。その時に「青い春」という映画を観た。すごく好きで何回か観た。

大学に入ったら軽音サークルの部室にそのビデオがあった。嬉しくて何度も観た。軽音サークルの先輩たちが文化祭の終わりに庭でワイワイ酒を飲みながらクラブミュージックを掛けているのが漏れ聞こえながら部室で一人で観た。役者がみんなかっこよかった。かかってる曲が全部かっこよかった。高校の時からブランキーは知っていたのに、ミッシェルをそれで知った。

 

俺たちに明日なんかないよなと思った。mixiの日記にもそう書いた気がする。

 

思っていたけど普通に銃殺もされず飛び降りもせずに割りと楽しく人生を生きてきた。

久しぶりに会う友達はみんな元気がなかったけど納得して明日のために帰っていた。俺の知らないところでみんなが自分の人生を生きている。不思議だと思う。よくできている世界だと思う。みんなが持っている明日を、俺も持っている。

 

じゃあやっぱり、俺に明日はあるのかなあと思ったけど、明日があるさとは歌う気にはなれなかった。明日がないと家で一人歌いながら、俺は明日のために仕事をして、明日のためにレコーディングのミックスをして、明日のためにライブ情報のRTをした。カツパンもまた食べたいし。

 

 

 

飲み会(ライブ)の予定です。

おつまみ持ってこないとチケ代高いのでなんかカラムーチョとか買ってきて余ったら俺にください。

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あいつら全員クリームブリュレ

「彼は最初こそ、口下手な方でありましたが」

と聞いた瞬間にビールを全て吹き出しそうになった。

友人の結婚式。上司の長い長い乾杯の挨拶での言葉だった。

 

それは高い高い建物の広い広い披露宴会場の中にあって、

きらきら綺麗な東京のすべてが見渡せるような夜景をバックに、

OSがWindows98からアップデートされていないような価値観のおじさんが、

ビールの泡を皆殺しにするためのメロディを歌っているさなか。

 

「今あいつの話してるやんな?」

「あいつが口下手?」

「野球部主将で?」

「文化祭の終わりにみんなの中心で肩組んで合唱して?」

「超高学歴大学で合コンを荒らして回ってた?」

「あいつが…口下手?」

 

ハイスぺ外資系金融の平均コミュ力って恐ろしすぎんな、と俺が笑いかけた友達。

彼と会うのは7年ぶりだった。というか、新郎新婦以外大半が知らない人で、あとはほぼ7年ぶりの同級生だった。

 

新郎とは小学校から一緒だった。しかし陽キャの王たる彼と陰キャの王たる俺(ガチで言われたことがある)が接点を持つことは殆どなく、高校受験の時に塾の帰りに仲良くなったのがきっかけだった。

彼はコミュ障を極めていた俺の真の面白さを理解できる稀有な存在だった。

俺は彼が「みんな面白いくらい俺の思った通りに動くねんよな。文化祭の時とか俺が肩組も!言ったらすぐ盛り上がって実行委員長とか泣いてたやろ。爆笑したわ」と言うのを聞いてデスノートの月みたいだな(デスノートの連載が始まったのはもう少し後だったが)と思ったし、「でもいろんな人から頼られると疲れるねん」という王ゆえの疲れを感じていることも聞いた。

 

高校でも俺はぼっちだったし、俺のことはみんなから「陽キャ王としゃべっているよくわからない奴」として認識されていた。だから意外と認知はされていた。

そもそも公立(関西圏の公立に対するイメージは関東圏とは違うらしいが)の進学校には非常に勉強ができ、スポーツもでき、コミュ力も高いという恐ろしい万能人間が結構たくさんいた。俺は落ちこぼれで物理で3点とか取っていたし体育はビリから2番目だったが性格も悪かった。万能な奴らはそんな邪悪な俺にも優しく、だからこそ俺はそんな奴らが嫌だった。自分のことも嫌だった。しかもなぜか物理学科へ行って苦しんだ。

 

同じ卓についている高校時代の同級生はみんなそういうハイスペック達だった。ていうか医者ばっかりだった。

この場にいる中で俺が一番年収と貯金が少ないことは明白だった。平均の半分もなさそうだった。統計的外れ値である。あそこにいるさっきめちゃくちゃ挨拶失敗して会場を爆笑の渦に巻き込んだ3歳くらいの男の子もたぶん既に俺よりたくさんのお年玉貯金を持っているはずだ。ブルジョアキッズだ。Diorのおむつとか履いてそう。

 

だから、これは所謂同窓会だった。

しかし俺は自身の成長を自覚していた。

全く・・全くもって、劣等感を感じないのである。

これを進化と呼ぶか退化と呼ぶかは個々人の感性に任せるところだ。

しかし、俺はもう悔しくなかった。

久しぶりに会った彼らと、まるで友達のように楽しく笑って話をした。

 

感性が死んだのだろうか?プライドが腐りきったのだろうか?

いや、たぶん俺は今、俺の人生は、充実しているのだ。

何も足りていないし、何も為せていない、何者にもなれていない。

金もねえし、地位もねえし、独りだし、バンドは売れてねえ。たまにブレーカーが落ちる。

だが俺はちゃんと自分の時間を生きている。

高校生の頃、何をしていいかわからなくて、映画を観て、本を読んで、自分が何をしたくて何になりたくて何の意味があるのかずっと考えていた。

周りの目が気になった。

 

今、俺は彼らとようやく同じ目線に立てている気がした。

みんな、良い意味で他人に興味がなかったのだ。

自分のことに夢中で、だから彼らはキラキラしていたし、俺はそれが悔しかった。

だけど、彼らと話すのに何かを得る必要などなかった。

俺はただ話せばよかったのだ。今日みたいに。

 

式の終盤、でかいクリームブリュレが出てきた。

「これなんや?東京のケーキってこういうのなん?」

これはクリームブリュレのでかいやつじゃないかな、そう言うと「お前なんか見た目、青汁王子みたいになったな。社長とかやってるやろ?」と言われた。

 

二次会も行った。なんかエロい照明のエロいバーで披露宴にいなかったエロい感じの人たちがなんかわちゃわちゃ話していた。

テラスみたいなところに出て俺は彼らと今の話をたくさんした。

仕事の話をした。関西のスラム街で医者をやっている友達の話を聞いた。保険証がない患者、住所もない患者、あまりに放置し過ぎて手の施しようがなくなってから来るバイオハザードみたいな患者…。凄すぎてもはや笑ってしまう話を聞いた。最近人生で初めて彼女が出来たやつがいたので皆が寄ってたかってアドバイスをしていた。

 

俺が彼らと対等に話したかったように、彼らも俺に興味があったのかもしれない、と思った。そして、俺は忘れていただけで実はいっぱい話していたのかもしれないと思った。俺の中の記憶よりも、俺は昔、わりと楽しかったのかもしれない。

帰り際、また地元帰ったら飲もうぜと連絡先を交換した。

次の同窓会は出てやっても良いなと思った。しかし次の同窓会は4年後、俺は37になる。

 

俺が…、37ね…。

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↓↓かっこいいアラフォーの人たちがたくさん出るライブがあります。

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よくわかんなかったらTwitterのDMで聞いてください。もうコミュ障じゃないんで。

 

 

 

 

うな重上に花束を

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うなぎ という単語をTwitterで見かけて食いてえなと思った俺は自転車を飛ばして「宇奈とと」へ向かった。

 

宇奈ととは鰻丼を年中安く食える、俺は結構好きな店だ。母に昔食べさせたら「こんなのは鰻ではない」と言っていたが俺は好きだ。しかし最近はあまり行けてなかった。なぜなら鰻のことを忘れていたからだ。

 

街へ出ると路上でいろんな店が鰻弁当を売っていた。どうやら土用の丑の日とかいう意味のわからない日らしい。そんな余計な日など作らなくて良い。うなぎは食べたいから食べるのである。同じ日にみんなで同じものを食う必要はない。そんなことをするから絶滅する。最近俺は行事とかイベントとかそういうのがマジで要らなくなってきていて、誕生日とかなんかそういうのも全部無くなれば良いのにと思っている。別に家族とか大事な人たちが生まれたことを祝福したくないわけではないが、その生まれた日から地球が太陽の周りをちょうど一周している時点のことを特別視する理由が特にないから、それを一々記憶しておいてなんか物をあげ忘れると薄情扱いされるのもよくわからない。俺の性格がクソ最悪だとこれ以上思われたくないのでこの話はここで終わり。

 

宇奈ととにつくと店の前にはたくさんの大学生アルバイトが立っていて邪魔だった。彼らは道行く人やウーバーの配達員にうなぎ弁当を売ったり渡したりする為に立っているらしかった。しかしそのだべってわちゃわちゃしている様を見るにどちらかというとたまに声を上げる以外は時給をもらいながら青春を謳歌するためにそこに居るようだった。とても素敵なことだ。子育て支援金だ。俺がオーナーならすぐに半分をクビにするが少子化対策観点ではむしろ奨励すべき状況だし、俺は他人の幸せを素直に願える人間になりつつあるのでむしろ楽しんでね!と思いながら店に入ろうとして、てめードアの前に突っ立ってんじゃねえどけやクソボケがこちとら暑いし腹が減っとんじゃいとも思った。

 

宇奈ととに入った俺は気だるげな店員に対して挑発するように「うな重 上」を頼んだ。「うな重 上」はメニューのランク的には上から2番目くらいな感じのポジションで、特上よりは下だが最安のうな丼の3倍の値段がするまあまあリッチなメニューである。もう少し払えば普通の店で鰻が食えそうな値段である。そのためいつもの俺はうな丼ダブルしか食べない。しかしそれを俺はまるで「いつもこれしか頼んでないんだよね」という顔で頼んだ。外で青春デンデケデケデケしている学生たちはバイト終わりに多分まかないの590円のうな丼を食うのであろう。そいつらと俺が同じもの、または倍程度のものを食うのは割に合わない話だと俺は思ったのである。3倍だぞ3倍。

 

うな重 上はまあまあのデカさのうなぎであり、ご飯は大盛りでもよかったなと110円追加を躊躇した自分を恥じた。でも昨日も酒飲んでラーメン食ったから食べ過ぎなくてよかった。タレをドロドロかけて山椒と七味を振りかきこんだ。3分くらいで食べ終わってしまった。

 

俺は完全に俺ではなく隣の仲間に向けられていると思われる笑顔の余りで俺に「ありがとうございました!」と礼を言う女学生に会釈をして店を出た。スタバへ向かいマックを開き「さあメジャーデビューするぞ」とバンドの音源の編集作業をしようとしたが電池がなかったのでコーヒーを飲んだだけで帰った。

 

家に帰ってTwitterを見たらみんな花火の画像や動画をあげていた。マーベルやディズニーやジブリや君の名はみたいなすごい映像美が観れる現代に花火は大変にシンプルな映像娯楽である。隕石も落ちないしラッドウィンプスもかかったりしない(しないよな?)。しかし花火はそのプリミティブな美しさと同時にその花火を観ている自分や、一緒に観ている人、その場所、それまでの夏、それからの夏、すべての思い出の一区切りを保存してくれるような、そういう瞬間を切り取るような特別さがある。人生の中で色濃く残る点になる。

だから似たり寄ったりの画像がSNSにあげられていても、そこには一つ一つ全く違うストーリーが、エモーションがある。

だからどんなに文明が発達しても、人間が生きている限りは花火を美しいと思い続けるだろうし、だからこそ花火はずっと無くならないだろうし、無くなってほしくないなと心から思った。

 

そして今の俺にはどうでも良いなと思った。

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世界の中心でカラムーチョと叫んだけもの

カラムーチョは世界で一番美味い食べ物である。

 

正確さを期すならばカラムーチョスティックは世界で一番美味い食べ物である。

では二位は何か?当然ながらカラムーチョチップスである。

 

食べログ百名店よりも

ミシュラン5つ星よりも

子供の頃にふるさとで食べたあの鮎よりも

減量でガリガリに痩せ細ったボクサーが食べる半分のりんごよりも

 

カラムーチョのほうが美味い。

俺はそう言っている。

 

俺は先日、奥多摩へキャンプに行った。

親に誘われたためである。

そこで親におやつ係に任命された俺はカラムーチョを買った。

 

https://twitter.com/elt_ogipei/status/1653642976986550274?s=46&t=YTZiBtAOTBLTIRjMZ63rsw

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そしてBBQでお腹いっぱいになりカラムーチョを食べずに持ち帰った。

今、俺の目の前にはカラムーチョがある。

しかし俺はダイエット中である。そういうことだ。

 

カラムーチョほどコストパフォーマンスに優れた食べ物はない。

あまり知られていないがカラムーチョには本来1袋1万円の価値がある。

なぜならもし医者が俺に「あなたはカラムーチョを食べられない体になった。しかしこの薬を飲めばあなたはカラムーチョを100袋食べられる。しかしこの薬は国内では認可されていないため100万円する」と言われたら俺は迷わず買うからだ。

もしカラムーチョ工場が反カラムーチョテロリスト組織によって爆破され、半永久的にカラムーチョが製造されなくなったら、俺はありったけの在庫を買うだろう。

 

それだけの価値あるものを一度開封してしまえば最後まで食べてしまうことは当然に開ける前から決まっている。

だから俺は悩んでいる。

 

さて今回、意図的に俺は客観性を欠いてこのブログを書くことにした。

言うまでもなく、世界一美味い食べ物は人によって異なるため本来は定義できるものではない。

客観性を排することのできる人間だけがそれを語れるのである。

しかし真の意味での客観性などあるのだろうか?そんなもの幻想ではないか?

俺たちは俺たちが想像しうる範囲の世界でしか物事を考えられない。

仮にカラムーチョをそこまで好きではない人間がいたとして(想像を絶する生物ではあるが)その気持ちを想像するには我々カラムーチョが大好きな人間がそこまで好きではない別の食べ物(例えばすっぱムーチョ)を想像し、彼らにとってのカラムーチョとはそのような味なのだということを苦虫を噛み潰すような顔をしながら考えることはできる。

しかし、それだけである。

どこまでいっても俺たちにはカラムーチョが好きではないという彼らの本来の気持ちは理解できないし、また彼らには俺たちが、特に俺が、どれだけカラムーチョを愛し、どれだけカラムーチョに支配され、時に救われ、時に苦しめられてきたか、理解することなど到底できないだろう。誰にもできやしない。

「君の気持ちはわかるよ」と言われても

「いやお前に俺の気持ちなどわからない

俺のカラムーチョへの想いなど、わかるはずがない」

そう言いたくなるだろう。

小学生の頃から、ずっと俺は魅了されてきた。カラムーチョに。たぶん死ぬまで。

 

だから真の意味で客観性などない。

俺が大人ぶった顔で「まあ好みって人によるよね」と言いながらもカラムーチョをそこまで好きではないという人間を心の底では見下しているように、人と人とは永遠に理解し合うことは出来ない。人が人である限り、永遠に人は主観でしか生きられない。他者を信じることなどできるはずもない。

 

じゃあどうやって生きればいい?

信じるものを失った世界で。

嘘と裏切りと憎しみと蹴落とし合いのこの世界で。

僕は何に縋って生きればいい?

繰り返し繰り返し無意味なコミュニケーションを続け、どこにも辿り着けず、交わらず、終わることのない虚無の世界で。

 

 

俺はカラムーチョの袋を開けた。

俺はカラムーチョの脂質が高いことを知っている。塩分が高いことも。

明日必ず浮腫むことも。知っている。

知っていて俺はカラムーチョを頬張る。咀嚼する。

そして実感する。

今この瞬間、信じられるのはカラムーチョの美味しさだけだということを。

生きる為にはそれだけで

充分だということを。

 

 

ライブがあります。

予約はこちらから。

http://emilylikestennis.jp/live.html

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観に来てくれ。曲も増えたし。

孤児孤児

親知らずを抜いた。右下の。

右上の親知らずはコロナの前に抜いていた。だから2年くらいは間が空いていたと思う。

右下の親知らずは「しめしめ、忘れてやがる。抜かれずに済んだ」と油断していたことだろう。俺をなめるな。

俺をなめるやつは全員許さない。

左の親知らずは上下まだ残っている。震えて眠れ。

中学の時に肩パンしてきた奴らのこともまだ忘れていない。全員地元から出られないように呪ってやった。それが不幸かはわからない。

 

俺の下の親知らずは難産(難殺?)だった。真横向きに生えていて、およそ歯としての機能を全く果たしていなかった。これまで何の役にも立たずにそこにあった歯は、何の役にも立つことなく破壊され、捨てられるのだ。手前の奥歯が虫歯になり易そうだからという理由で。可哀想だ。親も知らず、大人にもなれず、腐ったみかん扱いされて駆除される。だが歯に感情はない。ひと思いにやってください。生死は問わない。働かざる者食うべからず、俺だって働いているんだ。

 

手術はあまりに自然に始まった。しかしそれは例えるなら口の中でチェンソーマンが暴れているかのような恐ろしいものだった。

麻酔を打っているので感覚はない。しかし音が、耳から、骨振動から、伝わってくる。また舌も右半分に感覚がないため、工具に舌で触ってしまうのではないか、そしたら俺の舌は職人が捌くウナギのようにスパーンとなってしまうのではないか、またはデパートのエスカレーターに巻き込まれた子供のようにグゾョングゾョンになってしまうのではないか、終始恐ろしくて仕方がなかった。俺は必死に「プーとおとなになった僕」の冒頭、クリストファーロビンとプーの感動的なお別れのシーンを思い出して少しでもこの地獄のような現実から目を背けた。医者は「これは長くなりそうだ」と言った。

俺は唱える。

努力、未来、a beautiful star

努力、未来、a beautiful star

 

永遠にも思える時が過ぎ、永遠の悪魔を倒したらしく俺の歯の治療は終わった。うがいをしても、思ったほど血は出ていない。しかしこれは穴に詰められた秘密道具「永久スポンジ」のおかげであった。

永久スポンジは俺の口の中から、毎日永久に血を吐き出した。まるでスポンジそのものが、血を生産しているかのように。だがたしかにこれは俺の血であった。

俺はドライソケットを恐れた。

ドライソケットとは親知らずを抜いた時にうがいをし過ぎるとかさぶたが取れて顎の骨が丸見えになる現象である。死ぬほど痛いらしい。「死ぬほど痛かったよ」とバンドの知り合いに言われて俺は怯えていた。

毎日鏡を覗き込み、これは骨か?それとも永久スポンジか?と不安になっていた。

抜歯も終え、医者は大丈夫っすね、と言った。

俺の歯茎は空洞を残した。俺は空洞、でかい空洞。

未だに鶏胸肉がよく挟まるので困っている。

 

親がもうすぐ還暦になる。何かを買ってやらねばならんと思う。

しかし華々しい同級生とは違い、適当に働きのんびりしている俺にはなぜか貯金がない。たぶん俺の口座には俺の金を食べている泥棒ねずみがいる。

バンドも特に売れていない。金がなくてもバンドが売れていればそういうカテゴリになるだろうが俺のバンドは明らかに売れていない。だから俺は何者でもない。

だが親は子の健康を願うものなので、とりあえず還暦祝いには俺の筋トレの成果としてまた公園に行って懸垂しているところを見せてやればよいだろうと思っている。本当はそんなことでは良くないとわかっているが、じゃあ他に何をすればいいのかわかるやつは教えてほしい。いや、やめろ、何も言うな。

飲むのを我慢して、プロテインを買うのやめて、貯金して温泉付きホテルにでも泊めてやれ、と俺の良心は言う。

だが俺は親の優しさに甘えていたい。今年で34になる年にこんな情けない事を言っているおっさんになっているとは俺も学生時代には予想だにしていなかった。

しかし情けない生き方は非常に気楽である。自分と見つめ合う時間を取らなければこんなに気楽なことはない。俺は家じゅうの鏡を撤廃することにした。

お願いだから大谷とかそういう若くて立派で収入の高い人と俺を学術的に別の生物として分類してほしい。そうすれば自分という人間について省みる必要などないだろう。

 

誰に向かってこんなことを言っているのかわからない。まだ親知らずは2本残っている。治療費は数千円かかる。保険料を少しでも取り返すために抜いてやろうという気持ちともう数千円払いたくないという気持ちがある。親の知らないところで俺は親知らずを抜くかどうか迷っている。

 

そんな折、奇しくも情けない息子が親に頼る曲の音源ができた。聴いてほしいと思う。itunesや各種サブスクで聴けるはずである。

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俺はEmily likes tennisというバンドでドラムをやっている者だ。

俺はドラムの録音だけでなく、ミックス作業なども頑張った。ミックスというのはみんなが録音した音源のタイミング調整とか音の聞こえ具合とかそういうのを調整する非常に大事なお仕事である。仕上げはヤミニさんに託したが、「普段後ろの方にいるあいつ(俺)も結構バンドの役に立っているんだなあ」ということをこういうところでくらい知ってもらっておきたいものである。

以上だ。

 

 

 

 

 

 

 

プロメテウス天ぷらそば

クリスマスは親にクラシックコンサートに誘われたがなんとなく悔しくて断った。というかクラシックは吹奏楽部のトラウマがあるのでどちらかというと苦手。

 

なので家で筋トレをもりもりやる日にしようと意を決するが、夜に同じく孤独なおっさんに誘われたので飲みに行ってしまった。気づいたら池袋で終電を逃した。まあ減量になるしと思って家まで歩いて帰ろうとするが、聖夜に一人でとぼとぼ歩きながら今年を嫌でも振り返らされながら帰る現状33歳の俺を俯瞰しつつ、お腹が空いてきたなあと思ったのでこの状況を肯定するために新宿のいわもとQに年越しそばを食いに行く。そうだ。減量は自慰行為だ、男は増量を。

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声が割れたのぶ代みたいな店員さんは今日はいなかった。いわもとQで年越しそばを食うという侘しさがむしろ優しく感じる。つらいときは暗い歌詞の曲を聴きたくなる。打ちのめされると松屋をかきこみたくなる。なぜか俺のブログを褒めてくれている先輩バンドマンのブログを見つけて目頭が熱くなる。でもたぶん俺は全てを手に入れたらブログを書くのをやめるだろう。クソ寒いがなんとか自宅に帰り着く。中野って便利だなと実感する。

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次の日も暇すぎて年越しラーメンを食う。

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ずんどう屋でライスをつけることをひるむくらい年老いたら、どうか俺を拳銃で撃ち殺してほしい。

 

母が東京に来た。最近ジョナサンにハマっていると言うので親戚との忘年会がジョナサンで開催される。従兄が最近ジムに行き始めたというので絶対に俺のほうが先にマッチョになってやると闘志を燃やしながらハンバーグロコモコを食い散らかす。

叔母が「エイリアン:コヴェナントを観ていないなんて信じられない」と言うので年末年始は両親と俺でエイリアン映画を3本観ることに決定した。

駅前に小さいドラえもん像があってかわいかった。

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前も書いていたが年末は帰省しないことにした。

父親は数年前から東京に単身赴任で来ており、レオパレスの小さな部屋に住んでいる。

せっかく一軒家を建ててローンも払っているのになんで会社は定年間際に単身赴任なんてさせるんだろう、と思うが当の本人は東京が好きで観光が好きでコンサートとかイルミネーションとかそういうのが好きなのでわりと楽しんでいる。初詣すら数年行っていない俺には一切受け継がれていないであろうアクティブな遺伝子。

今年は母がこっちに来るのでもう東京で年越しをしようという事になった。新幹線に乗ると往復で3万以上かかるし、地元に友達はいない。今年は同窓会もあるらしいけど同窓会で話す人がいるか定かではない。少ない友人はちょうど子育ても真っ盛りとか僻地で労働しているかの人生フェーズの奴らが多く、出席者は少ないようだ。T-DRAGON、地元帰らないってよ。

次の同窓会は5年後だ。同窓会というものに対しての正しいスタンスがどんどんわからなくなっている。もう二度と人生の交わることのない人達と一瞬だけ会って、あの頃予測した将来像の答え合わせをする。それはなんだか亡霊と話しているような、空虚で不思議な時間だと思う。死後の世界に行ってみたいという感覚もなくはないが、本当に何も報告することがない。同窓会の話はもういい。

 

そのレオパレスの小さな部屋で小さなこたつに入りながら3人でエイリアンを観た。

エイリアンという映画にはその前日譚になるプロメテウス、エイリアン:コヴェナント、という作品がある。

俺はコヴェナントだけ観ていなくて、その前のプロメテウスも割と適当に見ていたのでみんなで紅白の前後、大晦日と正月に3本を観ることになった。内容についてはキモキモ生物を帝王切開で取り出すシーンが怖すぎてイカが食べれなくなった。リドリー・スコット監督ってちょっと頭おかしいのかなと思った。うわーグロいねえと言いながら普段怖がりの母は気づいたら寝ていたのでやはり母強しと思った。父も寝ていた。叔母が言うから期待して観たコヴェナントはまさかの「まだまだ続くよ!」みたいな終わり方でどうやら打ち切られてしまったらしくどういう意図で薦めてきたのか判然としないが内容自体は面白かった。エイリアンは普通に今見ても面白かったし実は猫映画だった。

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紅白は全員知らない人しか出ていなかったので親の横でひたすら腕立てをしていた。vaundyのことをバンドだと思っていたので、最初てっきりポインティが出てきたのを俺がvaundyと聴き間違えたのかなと思った。

 

近所の公園へ散歩に行った。鉄棒があり懸垂をした。10回やろうとしたが7回しかできなかったが親は感心していた。「腕立てしてなかったらもっとできたねんよな」と言い訳をした。今のところ親に見せられる俺の2022年の成果はこれしかない。一方の妹はここへ来ていないが夫と過ごしている。どちらが親孝行かは個々人の価値観に依るところなので結論は控えさせてもらう。「俺も色々考えてるんよ」と言うと母は「それならええねん」と言った。色々考えてはいるのだが、具体的に何を考えたのか、それは俺にもわからない。わからないが母は会うたびに俺に「あんた肌キレイやね〜」と言うのでスキンケアは間違っていないっぽい。

 

映画のタイトルの「プロメテウス」というのはギリシャ神話の神様らしい。人間を作ったり、火を人間に与えたやつらしい。諸悪の根源だ。人間を作った存在がいると信じたいのは、そうすれば人間に目的が生まれるからだと思うが残念ながら人間は地球に生えたカビみたいなもので自然に発生しただけのゴミクズだと俺は思っている。だから生きる目的などない。それは悲しいことではなくて、宇宙に期待されていないのだから好きに生きればいいということだ。ただ好きに生きるということの意味とか、一番やりたいことをやる、みたいな話が未だによくわかっていない俺は、今年中にマッチョになることにした。明確なマッチョの基準はわからないが宣言することは大事だ。数日前から毎日、玄米と鶏むね肉をめちゃくちゃ食っている。とりあえず一ヶ月だけでも続けばいい。なんでマッチョになりたいのかはわからない。ただドラムの音がちょっと良くなるような気がする。

 

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セブンの親子丼(New Recording)453円

ある朝、T-DRAGON(オレさ)がなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で39℃の病人に変わっているのを発見した。

 

ああ、冬だしな。

毎年恒例のやつだ。

慣れた手つきで俺は会社に有給取得の連絡をする。(有休より年休より有給という呼び方が好きだ。給与の給という字が入っているから)そして会社からもらったストックのある抗原検査キットを一本使って検査をする。陰性。

 

とりあえず安心して風邪薬を飲んでひたすら寝る。

寝る。

薬と水を飲む。

寝る。

薬と水を飲む。

加湿器に水を足す。

寝る。

 

ひたすら合わない計算をする悪夢を見て気づいたら夜だった。

薬と水を飲む。

腹が減ったので半年くらい冷凍してある冷凍カルボナーラを食う。泣く程美味い。

寝る。

 

朝。熱はある。

また会社にメールを出す。

寝る。

ひたすら昔の知り合いが出てくる夢を見ていたら夜。

死ぬほど腹が減っている。しかし家には乾麺のラーメンとか調理が必要なものしかない。

その気力はない。

なぜか五分くらいなら歩く元気はある。

 

セブンに親子丼を買いに行く。

家賃高めの家に無理して住んだお陰でセブンはすぐ近くにある。

前の家賃の家からでは辿り着けなかっただろう。

病気の前では金持ちも貧乏人も同じだというが嘘だ。全部金だ。病院の大きめのベッドも手術の横入りも全て金持ちのためのものだ。

俺は金が欲しい。

だが金が欲しいという考えは相対的に他者を蹴り落とす願望だ。

だって金って相対的なものだろ。

みんなで金持ちになろうなんてできない。

「みんなで金持ちになろうな」みたいなツイート、欺瞞でしかない。

みんなに100億円あげたら、100億円の価値が1万円に下がるだけだから。

経済ってのはたくさんの誰かから自由をとりあげて、集めた自由を誰かにあげることだから。

「俺だけが」金持ちになりたい。

金持ちになりたい、金が欲しいとはそういう思想だ。違う?

だからごめん。

俺のせいでコンビニの近くに住めなくて辛い思いをしてる他の風邪の人。

ごめん。

 

私は病原菌の塊です。近づかないでください。

すいません。

心の中で呟きながらレジで商品を受け取る。

親子丼を食う。

うまい。

風邪にはやっぱり親子丼。

2年前に風邪をひいた時もブログで親子丼を食べていた。

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俺は自炊が好きでどれくらい好きかというと「かかる原価が既製品の定価と同じなら自分で作った方が楽しいから作る」というくらい好きだ。電車に乗るのが好きな人が「同じ値段なら長く乗りたい」と鈍行に乗るのと同じ理論だと思う。あと味の好みとかもある。

だが久しぶりに既製品の食べ物を食べることの不思議さを享受する。俺は金という対価を支払っている。しかしいつも払う手間という対価を殆ど支払わなかった。これは等価交換といえるのだろうか。いや、本来の意味で等価交換などあり得ないんだ。互いにとって価値が同じならばそもそも交換する必要もないのだから。

最近アービトラージという言葉を知った。簡単に言うとAとBという八百屋があったとして、Aでは大根が100円だがBでは80円だとすると、Bで買った大根をAの店の前で100円で売れば儲かるという話みたいな感じらしい。間違ってたらごめん。

TPOによって物の価値は変わる。だから交換するんだ。だから等価交換なんて幻想なんだ。

俺の時給はもっと高くても良いはずだし、俺より時給の高いやつは不当に時給をもらっているのだ。

たぶん脳が正常に機能していない。

だが今の俺には親子丼を作る手間を安い金で買えることが何よりありがたい。

 

寝る。

夢は見ない。

 

朝、熱は少し下がっているが頭は回らない。会社にメール。

あー今日、誕生日だな。

親にLINEを返す。寝る。

親に風邪のことは言わない。めんどくさいし。

今伝えても助けて欲しいことないし。

それならただ心配させるだけになる。

そうやって俺は人に頼る方法がどんどんわからなくなる。

頼り癖をできるだけ無くしておく方が拠り所が無くなった時に困らないなと保険を掛けてしまう。

それに人に頼れないのは優しさではなく心の狭さだと思う。

 

夕方、病院へ行く。病院に入って「電話した者です」と伝えると病原菌の塊らしく「あ!入らないで!外で待っててください!」と追い払われる。裏口から通されて石油ストーブが置いてある謎の部屋に通される。検査をする。コロナでもインフルでもなかった。私は風邪の塊です。ドラえもんみたいな声のおばちゃんはすごい疑い深くて「少なくとも、コロナではないわね。インフルエンザはまあ、一応大丈夫そうだけど100%かどうか…」と検査の結果に納得がいってないようだが、俺は真実が知りたいのではなく今後の行動指針が知りたいから五千円払ったので検査の結果に準ずる。あと保険料払ってる分格安になる薬が欲しいだけだ。薬を寄越せ。早く帰らせろ。まあまあ、おばちゃんも心配してくれてるだけなんだよ。

 

家へ帰って映画を観る。ジェイクギレンホールとアンハサウェイが性行為ばかりしている映画。今年の誕生日はこの映画を観たことが思い出になるな。去年の俺は誕生日に何をしていたのか調べたがわからなかった。

ツイートを遡ると前日に悲しいツイートをしていて笑ってしまった。

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毎年最悪な誕生日を更新していると思うし、来年はもっと最悪になればいいと思う。俺は生まれたことも産んでもらったことも感謝しているがそれと同時にこんな今の現状を祝ってもらいたいという気にはあまりなれない。今年も生き延びたことはおめでたいが、自分をよくやったと言える時まではケーキなんか食っても楽しい気分になれる気がしない。不思議な国のアリスみたいな「なんでもない日のパーティ」なんて、実際には3日で飽きるのではないだろうか。

俺は思い詰めすぎているのだろうか?

岡本太郎は幸福なんて嫌いだそうだ。

俺は幸福な方が好きだ。

だが最悪な方が静かではある。

 

最近三ヶ月くらいかけて読んできた小説がようやく終わった。飛行機が墜落するところから始まって墜落して終わった。これもまた最悪な話だった。

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風邪が治りかけて最初に俺がやったことは筋トレだ。

「重たいものを持ち上げることは最高にクールだ」とYouTubeボディビルダーが話していた。

そうだ。今年の自分への誕生日プレゼントは今年の夏に買ってある。

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片手38キロの可変式ダンベル2個。

小さくなった胃に鶏胸肉を水で流し込む。気持ち悪い。

今年は実家に帰らない。親がこっちに来るらしいからだ。同窓会には行けません。特に何もしていないけど新幹線代が未だに高いと思ってしまう収入だからです。たぶん俺がいないことに気づく奴は少ないだろう。まあそんなわけで正月太りの懸念はだいぶ少ない。胸肉を食らい、筋トレをする。何のために?念のために。

たぶん風邪をひいたのは減量のせいだ。だから減量はもうやめだ。米もしっかり食う。

 

次の俺の誕生日は自分によくやったと胸を張って言える日だ。地球の自転の回数なんかに俺を祝う日を任せてたまるか。地球とかくそくらえ。誕生日祝うな。葬式で呪うぞ。

 

ストイックなのではなく、生まれつき自虐なんだろうなと思う。だからわざわざこんな日に風邪をひく。本当は普通に有給取って潰れる前に横浜の大学の前の弁当屋の弁当でも買いに行こうと思ってたのに。もう行けないね。

これを書いている今日はクリスマスイブになる。とりあえずドラムのMIDIレコーディングでもやるつもり。

ベイブ(豚)の友達フェルディナンド(アヒル)が「クリスマスは殺しの日だ!」と叫んでいたのを思い出す。俺も自分を殺して、やりたいこと(やりたいけどめんどくさいからやりたくないこと)をやる日にしよう。大人にサンタは来ませんので。